*トップ写真変えました(息子氏撮影)
「書き置き。」
2026年01月10日
「小谷ふみ」をすいぶん遠くまで連れて来てしまった。
ともに本を作った仲間みんな、本を届けてくれた本屋さんたち、本を受け取ってくれたみなさんは、元気にしているだろうか。
私は今、誰ひとり知り合いのいなかった離れた世界にいる。「はじめまして」から始めて1年。ここでの日々は、私の日常となり、暮らしとなり、「はじめまして」だった面々は、私の同僚となり、仲間となり、彼らとの新しい世界ができた。
そんな折、「小谷ふみさんに、お手紙が届いていますよ」と、生まれた森から連絡をもらった。森に手紙を取りに行くと、変わらぬ仲間の笑顔が待っていて、胸がきゅうーんとなって、渡されたお手紙を読んでまた、胸がぎゅーっとなった。
そして、お手紙に返事を書こうかどうか、ずっと迷っていている。「お返事はいりません」と、書いてあるからというのもあるけれど、お返事を書いてしまったら、物語がひとつ終わってしまいそうで。
同じように、ずっと会おうかどうか迷っている方がいる。もうとっくにご縁の切れた方であり、でもとても縁の深かった方。でも会ってしまったら、心の深き底で生きていた魚が、浅瀬にあがってしまうような、そんな危うさを感じるのだ。
50歳になって思う。50歳になる前までは、「人生の取りこぼし、ぜんぶ拾っていこう」と意気込んでいたけれど、取りこぼし、取り損ね、中途半端……終わりそうにないこと、あったっていいんじゃないかなと。
「ぜんぶ」を、欲しがらない。
「もしかしたら」を、残したままに。
私は「小谷ふみ」を、こんな遠くまで連れてきてしまって、言葉を綴じて新しい本を作ったり、届けたり、もうできないかもしれない。
だから、せめて、手紙の返事を書く(かもしれない)まで、あの方に会いに行く(かないかもしれない)まで、ひとりうろうろ語る日々を、ここにそっと残して置く。

「知らない私を見つけに。」
2026年01月16日
夫が関西方面に出張。私も仕事が休みのタイミングで、夫を追って新幹線に飛び乗った。
初めての、ひとり新幹線。長らく病に籠り、ひとりで動くのは、首都圏が精一杯だった遠出は、いつも夫が一緒。新しい治療を始めて3年目。再発なのか怪しげな日あれど、きっと大丈夫と思えるようになり、病の外へ出られるようになった。
ひとりで乗る新幹線は、いつもよりずっと速いスピード。こんなに速く走って大丈夫?と妙にドキドキするのは、「新幹線て速いね!」と言える夫が隣にいないからか。
窓の外に見える景色は、病の外の世界。毎朝ベランダから見える富士山が、ずーんと右手に大きくそびえる。
こんなにも遠くへ、ひとりで来られるようになった(この文章は新幹線の中で書いている)。遠くへ来ると、私はこの世のほとんどを知らないまま生きて、知らないまま去るのだと、何か、大切なことを見逃しているような気持ちになる。
夫との合流までまだ時間がある。行こうかどうか迷っていたあそこに、足を伸ばしてみようかな。新幹線を降りたら、知らない電車に乗って、知らない町を歩いて。
富士山の向こうへ、見つけに行くのは、まだ私の知らない私。

「私たちのシャチホコ。」
2026年01月17日
誰かが描いた画用紙の絵みたいな「今」に、生まれ生きている私。そんな「今」のことを、いろいろ知りたくなって、改めて日本の歴史と地理を学ぶ日々。学べば、知れば、その絵を見てみたくなるもの。
先日の夫の関西への出張で、待ち合わせまでのひとり時間に見てきたのは、「招き猫」。
招き猫の世界を満喫した1日の終わり、月が天高くのぼったころ、「やっぱりシャチホコ、見たい!」と、出張仕事をやっと終えた夫を、半ば強引に連れ出し、夜道を歩き出した。
知らない町の道すがら、辿り着くまでの心細さや、23時のライトアップまでに着きたい焦り。やっと着いた視線の遠く向こうに、思ったより、だいぶちっちゃいシャチホコ。
あれー!? でも、それは間違いなく、かの有名な金のシャチホコ。夜間撮影モードでやっと写る、つまんで口にポイっと出来そうなシャチホコふたつ。ネット検索してしまえば、綺麗なドアップの接写画像を、秒で分で確認できてしまうのだろう。
でも、朝からずっと歩きすぎて、歩数計2万5千歩。「もう足が棒!もう足がスティック!」と、冷静に思えば大して面白くないフレーズに、凍る頬が割れそうなほど笑った。
あの時、同じ月の夜を泳いでいた、ちっちゃな金のシャチホコふたつは、私たちだけのもの。

「ツーンのツーン。」
2026年01月12日
息子、京都でのラストイヤー。大学4年間、そして大学院あと1年。テレビで、京都特集だ、京都マラソンだ、気象情報だと、京都の町が取り上げられるたび、息子が映り込んでやしないかと、夫とテレビにかぶりついた。実際、息子の大学寮の潜入番組には、ちょいちょい映る我が子に歓喜した。テレビをスマホでパシャパシャ撮った。
5年前の高校卒業の春、京都に送り出す時は、あんなにも寂しく、かなしかった。そして春は5回も巡り、来年には、いったん東京に戻ってくる(たぶんまたどっかに行くけど)。
5年、6年なんて信じられない早く、「すぐ戻ってくる感じだよ」と、あの時の私に教えてあげたい。
でも、なぜ。息子が東京を離れた時と同じくらい、息子が京都を離れるのが寂しい。
今もまだ、帰省が終わり京都へ戻るたび、改札口で見送る背中に、鼻がツーンとなる。
そんなツーンの終わりが来ることに、これまたツーンとなる。
ツーンのツーンの向こうに、あの春の匂いがする。

