2024年秋の報:No pain, No gainな10月

入院 してきました

新しい治療に 踏み切るまで
何年も 悩みに 悩んで

事前検査も クリアして
たどり着いた 点滴治療 

道中 副作用が出るたび
点滴速度を 慎重に 調整しながら

点滴時間 11時間

もう一度 言います 

  11時間

な  が  い  

副作用は 
プチ呼吸困難
軽く嘔吐
うっすら頭痛など

それなりに ありながら
でも 大きな問題(痙攣とか)なく
どうにか こうにか
終えることが できました

これを 半年に一度
ひとまず 2年間 続けます

また11時間かと 気が遠く なりますが
この治療は この10年で認可された
画期的な 治療法(リスクと費用も画期的)
この期間は 再発しないと されています

じゃあ 2年後どうすんのって 話になりますが
さらに 続けるか 別の治療か
はたまた 点滴に 頼らなくても
自力で 再発しない私を 作れるか

先のことは 悪くも良くも 分からない
また その都度 考えればいい

揺らぎながらも こんな風に
切り替えられるように なったのは

ままならぬ病気の おかげでも あります

病気になって15年
再発9回

再発と 寛解を 繰り返し
何度も 何度も 振り出しに戻され
いつまでも終わらない スゴロクのよう

再発する度 私は自分を責め
あれが 悪かったか
これが 悪かったと
すぐに 自分の悪いところを探し
やたら 自分を責めるクセあり

私の主治医は その度に
「あなたは 何も悪くない」
そう 強く 言い続けてくれた

それでも まだ 自分責めグセは
消えないけれど かなり マシになった

左手に 終わらない点滴 下げた夜
顔を見に 寄ってくれた 主治医の先生に
オエオエ 泣きながら

「病気とぉ 先生のぉ おかげでぇ
 私はぁ 自分をぉ 責め潰さずにぃ
 生きてこられましたぁ おぇぅぅ」と

情緒不安定の患者
病室にて 突然の懺悔

先生は 少し困った顔をしながら
「ほんとに よく頑張ってきましたよ」と
私の肩を たたきながら 笑っていた


そんなわけで 大きなヤマを 超え
1、2週間は まだ副作用が 出たりするので
おとなしく 過ごします

(免疫細胞のひとつを オフにする
抗がん剤治療の一種で 免疫弱弱ですので
ますます 人混みNGの 体になりました)

気がつけば 11月ですって

退院してみたら
街はハロウインから クリスマス模様

みなさん 健やかに 穏やかな
師走を お迎えくださいね

またね

ふみ☺︎

2024年11月1日


追伸:

入院当日

病室に案内してくれた看護婦さんが
「私、以前も担当していたんです」

それは8年前 緊急入院の時に 
よくしてくださった 看護婦さんだった

「あの時は、ほんとうにお辛そうで。
 窓際のベットでしたよね。
 お元気に過ごされていて、よかった」と

あの5回目の再発は
再発して1週間で 一気に急性腎不全
腹水まで溜まって 息もできなくて
過去2番目 ひどい再発の入院だった

まさか 覚えてくれていたとは
そしてまた
元気に(病続行中だけど) 会えるとは

ーーー
「あの人は 元気でいるだろうか」

私の 難病ながら わりと元気な日々は
彼女の そんな思いに
支えられてきたのかもしれない

「あなたは 元気かな」

私の ふとした この思いが
あなたの 穏やかな日々の光の
ひと筋と なりますように

私の病室はいつも森のなか(「やがて森になる」だけに)

追追伸:
入院中の有り余るであろう 時間を利用して
不義理している方々に 連絡すべく
PCもレターセットも ガッツリ持参したのに
小鉢的複数の副作用に 翻弄されて
ほとんどの人に 連絡できませんでした、、、
すいません、、、